2011年5月11日水曜日

今や「日本国」に期待せず

さる大学の研究者が「福島県民が避難しないのは、自己責任だ」と言ったそうです。

その学者は、正しい情報を集めて検討せず、県や政府がいう「避難しなくても大丈夫」という言葉を信じて避難せず、放射能を被っているというのは、究極の自己責任だ、と言ったそうです。地質関係の研究をしている人だそうで、放射能の影響について研究している人ではないのですが、それでも「勉強しないで国の言う事だけを聞き、避難しないのは、究極の自己責任」と言ったとか。

確かに、それは正論ではあります。

放射線の影響を研究している、と自称する学者の先生が「被爆基準を20 mSvまで上げても、まだまだ大丈夫、安心、安心」と言っていたので、政府はそれを信じて被爆基準を引き上げ、福島県の人々は避難しなかった。
所が、被爆基準を引き上げても安心、と言っていた当の学者は「安心、といっただけで、安全とは言っていない。大体、あれだけ多くの人々をどこへ避難させろというのだ」と言ったそうです。

これが、この国の現状なのでした。

旧ソ連のチェルノブイリ原発事故でも、地域住民に対しては避難させるなどの手を尽くしました。しかし、この国では、それもままならない。だから「どこへ避難させるというのだ、だから、安心、安心と言ったのだ」と、学者が言い出す始末。
だが、学者に「避難の事まで面倒みれ」と言った訳ではありません。避難については、政府なり県がやる事であり、それに関して助言するのが学者の立ち位置だったのではないか、と思うのですが、それこそ「経済効果」を恐れて、学者も「安心、安心」と言ってしまった。それは、原発事業の生み出す経済効果を恐れたからでしょう。

マスコミも、そうした「安心安心」報道ばかりですから、多くの国民は、放射能の危機を身近に感じておりません。かく言う私も「もう、放射能の危険は大丈夫なのではないか」と思っているクチですが、実際には関東近県でも育ち盛りのお子さんに様々な健康被害が出ているらしいのです。しかし、それは報道されず、復興、復興の掛け声ばかり。

確かに、民衆にしてみれば、政府や県は避難を勧める、など言うのではないか、と思っていて、それが「避難しなくても安心、安心」と言っている、また、原発の垂れ流している放射能は、総理の垂れ流している鼻汁程度で危険はない、安心、安心、とマスコミも連呼している、安心なんじゃないの、と思いがちです。
所が、実際はそうではなかった。

マスコミの言う事も信用できず、政府や県のいう事も当てにならない、だから「自己責任」だと。でも、そうした政府や県は、民衆が選択したものでした。まさに民主主義。その、民衆が選択した政府や県のトップが「避難・疎開」も取らなかった、それは、民衆の選んだ代表が、そうした施策を取ったのだから、自己責任だという事の様です。

永らく平和が続き、一生懸命働いてさえいれば、それでどうにか暮らしていける、そんな時代が長く続いていました。それだからこそ、民主主義は当たり前の様に思い、政府や県の代表を真面目に選んでこなかった。それでも、どうにか世間は動いていた。そんな日常が永らく続いておりましたが、今回の原発震災で、それをしっかりと考えなくてはならない事態が到来してしまった。今の政府や県の代表は、未だに同じ感覚でいるから、県民、国民を避難をさせるなどの政策を取らない。それが、政府や県の代表を選択した私たちへ反映しているのです。かくして、避難せずに放射能を浴びるのは「自己責任」という事になってしまった。

まあ、そうであれば、教育もいりませんやね。まさにレッセフェール。努力する人だけがどうにか酬われる「かも知れない」社会。政府なんぞは要りませんよ。国家なくして住みよい社会。この国の80%の生産を担っている、20%の人口だけ居れば、他はどうでも良いという社会。ならば、余計な人口は放射能でも被って根絶やしになってもらいましょうや、まさに自己責任。

私たちは、そういう社会に生きているのですね、これは哀しい。少なくとも、国家に対して、少しは「国民保護」ちうものを期待しておったのですが、実状はそれもままならなかった。そういう得体に知れないものに税金を取られていた。民主主義ですよ。だから「自己責任」になってしまった。まあ、今回は原発震災で、避難させるという政策も取れますが、その前に東北沿岸を襲った巨大地震、津波では、それこそ一瞬で命を奪われた方々が3万人にも上っており、科学もこうした災害には無力だった。それだから「自己責任」と言っているのでしょうが、であればこそ、もっと科学者は真摯になるべきであるのです。それであるから「(科学のいう事だけに責任を持ってくるな)自己責任」である、という事ですか。確かに、戦後の日本は科学万能信仰でしたから、すべてを科学の責任にするのは間違いである、というのは正しい。であれば「より安全である」方をデフォルトにしておくのが筋なのであって、それを急に「自己責任」と言ってしまうのはどんなものか、と思うのですが、実は、科学技術政策の一つの峰である所の原発政策について、未だにそれを支持していることこそが「民主主義国家における自己責任」である、という事なのかも知れない。

過去にドイツでは、ヒトラーという独裁者を生み出してしまい、ひどい目にあってしまったそうですが、実はヒトラーというのは民選だったそうです。民主主義の生み出した怪物であったのですが、戦後60年を経て、ようやく本邦ではその段階に至った、という事なのかも。

今回の原発震災を機会に「正しい民主主義が行われる事が期待される」という声もあり、件の先生も「自己責任」と敢えて申したのかも知れませんが、その時には「民衆がいなくなっているのではないか」と危惧してやまない。だが、一部の人々は自己責任で避難しているから、大丈夫なのか。

でも、選挙権のない子供たちは、どうすればいいのか。今日も、避難しないでいる福島の子供たちは、元気に体を動かして放射能を吸い込んでいると言います。実にかなしい。

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