というのは、1960年代当時のカンリョーの声だそうです。何でも、原発を始めたのが、当時「一流国になるには、やっぱ原爆じゃね」と思っていて、ドイツにも働きかけてみたのですが、ドイツは「俺ん所はアメリカ(NATO)の核が使えっから(「核イニシアチブ」)、やめとく」と言われてしまったとか。
以来、原爆を作るためにチマチマと原発を作って使い、プルトニウムも十分過ぎるくらい貯まってきた。所が、大っぴらに原爆を持とうとすると、なかなか微妙な感じであり、ぐずぐずしている間に北鮮まで核武装。それで「6ヶ国協議」までになったので、なかなか持ちようがなくなってしまった。
こうした背景があるので、「日本も将来核武装する可能性があり、作れば原爆xx個分のプルトニウムがある」と言われてしまうのでした。「何で外国は、日本が原爆を持とうとしている、と思うのかねぇ」と不思議でしたが、そりゃあ、ドイツにそんな事を持ちかけていて、原発動かしてプルトニウムを溜め込んでいるんですから、言われて当然。
原爆は今のところ、これ以上のものはないというくらい強大な破壊力を持つ爆弾で、まさに「軍事力の華」とも言えるものではあります。悲しいかな、最終的に国家間の戦争という事を考えれば、そうした軍事力は効果的なものが必要になり、破壊力という面で言えば、実にコストの低いもの、という分析もあるそうです。確かに「大国」となったら、それこそ核兵器の1つくらいは欲しい、そう、当時のカンリョーは考えたのでしょう。
しかし、今回の原発震災で判ったのは「(少なくとも現在の日本においては、)核兵器の管理能力もない」という事実でした。
だってそうでしょう。爆発こそしていませんが、放射能を自国にまき散らしている原発に対し有効な手段も講じられない。あまつさえ、国民保護もしていない。これは、核兵器が自国に対して使われたのと同様ですよ。旧ソ連でさえ、チェルノブイリ事故の際には正しい政策を打った。それこそ一流国であり、自国を守るという事である。所が、この国の民選指導者は「被爆基準を引き上げれば避難をしなくてもよい」だって。太平洋戦争の時にミッドウェーでやられてからこの方、押される一方の戦線なのに「なお、我が方の損害、極めて軽微なり」と言っていたのと同じ。
今回の原発震災は、カンリョー主導の産業戦争の最終局面ではありますが、未だに「終戦」には至って居りません。まだ「戦中」の様です。我が「アシャーイ新聞」は、名前こそ紛らわしいのですが、当時、朝日新聞が「戦争万歳」と連呼して居ったそうで、今のマスコミも同様です。
アシャーイ !!
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